2019/04/07
町田康 『ギケイキ 千年の流転』
町田康『ギケイキ 千年の流転』(河出文庫)を読む。
「ギケイキ」は源義経を主人公とした『義経記』を現代風にリライトしたもの。
全4巻(予定)のうちの第1巻です。
高野秀行、清水克行の対談本、
『辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦』 (集英社インターナショナル)で
紹介されていたので興味を持ち、調べてみると
7月に第2巻『ギケイキ 奈落への飛翔』が出版されていました。
とりあえず文庫化された第1巻を買った次第です。

義経の霊が現代人に語る、という形式なので、出てくる地名は現在の地名。
かなり砕けた言葉使いで、筒井康隆を思わせる語り口です。
図書館で原典の『義経記』(小学館 新編日本古典文学全集62)を
読んでみたのですが、

ストーリーの展開は原典の通り。
荒唐無稽な話かと思ったら、原点にある内容でした。
と、いうことは、原点に忠実に書かれている、ということです。
てきとーにブロークンな現代語にしているだけか、と思いきや、
かなり資料を読み込んで書かれていることがわかります。
たとえば、「そうこうするうちに私は、法眼の身辺近くで働く、
幸寿のまつ、という女を、申し訳ない、こました。
(中略)しかも私からこましていったのではなく、
向こうから粉をかけてきたというか、なにかというと
私の身の回りの世話をしたがって、そうこうするうちに
そういうことになってしまったのだ。」(168頁)。
口語訳では「さてそうこうしているうち
法眼の邸内にかうじのまつという女がいた。
低い身分の者ではあったが、思いやりのあるもので
始終御曹司の身を気遣ってお訪ね申し上げていたが、
そのうち自然に親しい仲になった。」(87頁)
義経は鬼一法眼という僧の秘蔵する『六韜』を読むため、
屋敷の中の人物に探りを入れようと、女に近づきます。
原典では婉曲な表現になっていますが、
ハッキリ言えば「こました」わけです。
まつは『六韜』を手に入れるため、
義経と法眼の娘を深い仲にすることを提案します。
この辺り、サバサバしているというのか、
当時の道徳観というのか、原点を忠実に再現しています。
原点にはない、当時の社会事情や人物の心象などは、
義経がわかりやすく補足説明しています。
原典の注釈を読むだけでは理解しにくい部分も、
作者独自の解釈を交えて書かれています。
現代語訳ではなく原文だけならば、こちらで読めます。
<義経記(国民文庫)>
http://www.j-texts.com/sheet/kgikei.html
『義経記』は巻一から巻八までありますが、『ギケイキ 千年の流転』は
巻三まで、つまり義経の出生から頼朝に会う直前までを描いています。
もう第二巻『ギケイキ 奈落への飛翔』が発売されているので、
単行本を買うかどうか、けっこう悩むところです。